2008年12月25日木曜日

【報告】第8回建築夜話 「建築素材の重さと軽さ ~この国の風土感~」 講師:山田脩二氏(建築写真家) シンポジウムパネリスト:柏本 保氏(建築家)、奥井正造氏(建築家) 


報告者 :事業委員 吉川 輝欣


 去る 12 月 12 日(金)18:00 よりこうべまちづくり会館において、第 8 回建築夜話を開催いたしました。当日の参加者は 35 名でした。
 今回はカメラマン、カワラマンの山田脩二先生に講演をお願いし、シンポジウムのパネリストとして柏本 保 氏(建築家)、奥井 正造 氏(建築家)にお願いしました。
 まず、はじめに自己紹介と経歴を軽く話し、80 枚の写真をスライドで見ていきました。東京の写真から始まり、街並みの写真、面白いと思ったものなど、コンセプトやエピソ-ドを話してい頂きました。
 瓦の素材について、年数による変化や見え方、味わい深さ、を説明されました。
 シンポジウムでは、まず経歴について、桑沢デザインで、一般デザインを 1 年勉強して、印刷の勉強のため凸版印刷へ行き 1 年勉強して、写真の勉強のため凸版印刷の写真部に、そこでレイアウトなどを考慮した写真を撮り 2 割の人に支持される。2 年ほどでフリーのカメラマンになる。グランドデザイナーになる夢があったが難しく、とある焼き鳥屋の中での桑沢時代の友人との愚痴にて、「若いときに焼を入れてあると後がいいよ」の言葉を 若いときだけでなく一生焼を入れ続けるということにより、カメラの写真を焼くから粘土を焼く瓦へ木を焼き墨へなどと続いている。




ダルマ窯の復活について 

 ダルマ窯の名前の由来について、だるまさんを 2 つ置いたような形から名前がついた。
50 年ほど前にエネルギー革命と JIS によりガス窯になったが、昔の年数による景観がかわる瓦を作れない。今の工業製品ではなく、昔の手作りの瓦を作るためにはじめた。
 淡路瓦生誕 400 年祭を行なうにあたり何か歴史的に残っているものがあるのか?の質問に答えられないことから、他の産地でも、昔のものがあるのだから淡路にもダルマ窯を復活させよう。と話を進めた。

 最初は廃工場跡で復活予定だったが、近隣の反対がありで自社の横に造ることになった。
 最初は「また変わったことはじめた」と言われていたが窯を作るごとに近所の子供が祖父母に質問することがきっかけになり、祖父母(昔携わっていた人)の助言や協力により復活した。
 最初は煙の問題が気になって、風と強い日などは避けていたが、近所の人の「昔を思い出すなど」などの理解をしてもらえ、今はその問題も解消された。


  • 素材の重さと軽さとは、昔からあり、年月が経つ(使い込む)と味が出る=重い 
  • 最近の材料で年数が経つと使い物にならない(新しくしなくてはならない)=軽い 


30 年後の建物でもいいもの→廃墟みたいにならないものがいい。
そんな重い建築物を残すよう努力したい。



2008年8月10日日曜日

【報告】第7回建築夜話 「左官屋の芸術性」 講師:品川 博氏(石州左官)


報告者 :事業委員 宮宅 勇二


 去る7月18日(金)加古川市のコミュニティー協会4階会議室にて事業委員会主催の建築夜話で左官工芸の部門では、全国的に有名な品川博氏のミニ講演会が開催されました。
 品川氏本人も島根県太田市近辺の出身で、近代建築士において左官の技術集団として有名な石州左官の一人です。冒頭、かの地方は、農作物を作るにも平らな土地が少なく次男坊以下は、自分の腕で(技術で)生きていかざるを得なくて、多くの人が左官や大工となって技を磨き全国各地でその技を使って生活をしてきた歴史がある。との説明がありました。その為島根県は、単位人口当たりの左官や大工の数は今でも日本一である。ということです。



 さて、品川氏は、日々の左官業のかたわら時間を見つけては自宅にて雀や昆虫を針金とセメントと塗料で作ることを趣味としていたそうです。その為のコテは様々な型状をしており、何百種類という数になっているそうです。そして、その技量がどんどん上達するにつれ、あちらこちらで創作をたのまれるようになりました。お寺の山門や五重の塔の欄間の絵(春夏秋冬)トイレの壁画、公衆浴場の壁画、等々人のつながりを通じて数多くの依頼があり、日本国内はもとより台湾迄出かけていって作品を残している。というぐらいまでなりました。NHK で何度か放映されたこともありますが、その創作活動には大変敬服致します。

 左官工芸というと日本の古来からの技術として、しっくいやワラを使って創作する。というふうに思っていましたが(現にそれはあるのですが)品川氏の場合は力骨に針金を作ってセメントで作品をつくる。というユニークな方法をとっています。色をつけるのも白セメントに色粉を混ぜて色づけする場合と形をつくり硬化したあとで色づけをする場合があるそうで、遠くにあるものをぼかして色づけする際等の色の付け具合に大変気を使う、という話もありました。また形をつくるのは全て手の感覚による、との事でその技術の高さ、経験の深さがしのばれる言葉でした。

 今回、貝やアリなどの作品と今試作中という某大学の壁画の下絵をもってきて我々に見せてくれました。これがセメントで、と皆驚いたものでした。極めればここまでできるのかとつくづく思わされました。こういう技術が伝統工芸として残っていってほしいものだと思ったのは私だけではないと思います。


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2008年7月10日木曜日

【報告】第6回建築夜話 「巨木の移植」 講師:河合浩彦氏(樹木医)


報告者 :事業委員 戎 孝之

講師:河合 浩彦氏

 今回は神戸を拠点に活躍されておられる樹木医の河合浩彦様を講師に迎え「環境を支える樹木」をテーマにお話をしていただきました。
 最初に河合様が大学を卒業直後に研修の為アメリカのカーネーション牧場へいかれ、そこで、いきなり牧場のオーナーから牧場内に日本庭園を造って欲しいと依頼を受け、四阿を含む小庭園を造り上げ喜んで戴いたこと。又、その時知り合った日系二世の造園会社の社長から、自社の経営を任せたいとのオファーを受けたこと。若い頃より才能を発揮されていることがうかがえます。

 高さ約 100m の高さの大きな樹木でも根の深さが約 50cmから1mと想像以上に浅く、又、周りの木々とは互いに根の張る範囲には侵入しないこと。自分の種は自分の木の下で芽生えても育たない仕組みなど、今まで知らなかったことを教えて頂きました。
 樹木医として活躍される河合様は県内のいたるところで、橋の付け替え、道路の付け替え等で移植、伐採される運命の樹木の保存や枯れかけた樹木の再生などを手がけられ、多くの樹木の命を救われています。その話の中で、伐採と決められると木の枝や葉っぱが萎れ、元気が無くなってしまうが、伐採されないと決まった時には、途端に木の枝や葉っぱが元気をとり戻すことを聞き、樹木にも感情があり人間と同じだと思いました。

 そして、根の約半分を取り除いても樹木は生きていけるという話。それは、河合様が独自に研究をされ、数多くの経験により得られたデータに拠るものだそうです。災害が発生し樹木が倒れたと聞けばそこへすぐに行き、なぜ倒れたか、どうしたら再生できるか。東奔西走、県外にも調査に行かれる行動力には驚かされました。樹木のことが本当に大好きで何事にも真摯に行動されている河合様には今回の講演に感謝し、今後も心を癒してくれる樹木を救い育てて頂ける事をお願いいたします。

 その他、日系二世と南天の実の話など興味深い講演を頂きありがとうございました。又、違うテーマで話をお聞きしたいと思います。

当日の模様

報告書(PDF)

2008年4月10日木曜日

【報告】第5回建築夜話 「洋画とあゆむ建物たち」 講師:樫原隆男氏(洋画家)


報告者 :事業委員会 山本 建志


 3 月 22 日(土)上郡町で、洋画家の樫原隆男氏のギャラリー21 アトリエKにて 10 名の参加にて第 5 回建築夜話が催されました。 
 樫原氏は、現在三軌会の審査員をされていて、作品を創作する傍ら絵画教室をしておられます。
当日、私たちは樫原氏の絵に対する心構え、構図の考え方 について話を聞く中で私達の建築デザイン構想とマッチングすることが多いことに改めて感心させられました。特に売れる作品は、画商の思惑にて作品を製作しないとならない現状は、我々築士と施主の関係そのもので、教訓としていただきました。 



 アトリエの中では、現在創作中の作品・これまでのスケッチブックなどを見せて頂き、使われている絵の具と油絵の技法などを見せて頂きました。興味深かったのは、ポリカの板にステンドグラス調に描かれたキリスト像でした、大阪の教会からの依頼にて製作されたのとの事で、光にかざすと見事にステンドグラスの色調が浮かび上がりました。 
 又、ポリカ板に使われた材料と製作方法まで教えていただき、感心させられた建築夜話となりました。


2008年3月10日月曜日

【報告】第4回建築夜話 「正しい薬の服用法」 講師:笹子えり子氏(神戸薬剤師会)












報告:事業委員 久宝 弘幸


 去る 2 月 21 日(木)19:00~私学会館において第 4 回建築夜話を開催いたしました。
 各界のプロフェッショナルとの交流という趣旨のもと今回は神戸市薬剤師会理事であり、同会で大規模災害対策委員会委員長を務めておられます笹子えり子先生にご講演をお願いいたしました。
 今回のテーマは「正しい薬の不使用法」という事でご講演頂きました。
 まず初めに薬剤師の業務内容についてのお話がありました。薬の調剤、販売は勿論のこと、薬品開発、毒物麻薬の管理、食料品の安全管理等と多岐にわたる業務内容があるという事を知りました。
 また目に見えない重要な仕事に医師、製薬会社との副作用状況の共有化があるそうです。常に密に連絡を取りあい安全に服用出来る事を目的に日夜努力をされておられます。病気になり病院に行って医師の話は聞くけれど薬剤師の話は聞かない場合がほとんどですが、処方された薬について薬剤師に相談するという事は重要な事だと講演の冒頭で既に感じることが出来ました。


 薬の種類についてのご講演の時に思ったのですが、いかに我々が薬について知らないかを認識することができました。
 例えば胃薬ですが、市販の胃薬だけでも作用が 8 種類もあるのをご存知でしたでしょうか。作用がそれぞれ異なりますので市販薬といえども症状にあった薬を選定しないと症状を悪くする場合が
あるそうです。「薬をご購入される場合は必ず薬剤師にご相談下さい」とのお言葉でした。
 いろいろと興味深いご講演を頂いたのですが、私自身が一番印象に残った内容は薬の開発についての講演でした。
 昔の薬の開発は経験や統計、民間療法を元に医学部、薬学部が中心に開発が行われる症候学が中心だったそうです。現在は既存の成分を実験室で合成を行う合成学が中心で農学部や工学部の開発が多いそうです。現在すでに始まっているそうですが、未来においては遺伝子学者、IT業者と一緒に開発を行うそうです。白衣の研究者が試験管を持って研究するといったイメージとは異なり、全てをパソコン内で行う理論合成学が中心になるそうです。

 墨壷や下げ振りが現役道具な建築業界の事を考えれば、あまりのギャップにただただ驚きを感じました。私自身の仕事は現場管理ですので経験や統計を否定するつもりはありません。また、経験を重ねる事が建築に必用な事だとも思っております。
 ただ、業界が違うと言えばそれまでですが、建築業界は他業界と交わり辛く根底から考えを変えるのが難しい業界だという事を感じました。
 他業界との交流が自分を見つめ直す良い機会だと再認識しております。


 最後に笹子先生より建築士会の皆様に伝言がございましたのでお届けいたします。

“病気になって薬を飲むのは仕方ありませんが、病気になる前に普段の生活を改める様にして下さ
い。それでも駄目ならその部分を補う形で薬を服用してください。 万能薬は存在いたしません。“

とのお言葉です。


  • 自己管理 (民間療法等の実践) 
  • 食事療法 (塩分、糖分、油等の摂取を控える) 
  • 運動療法 (適度に体を動かす、スポーツをする) 
  • 生活パターン(ストレスを溜ない、睡眠をよくとる、規則正しい生活をする) 


以上を普段から心がける様にしてください。


報告書(PDF)