報告者 :事業委員 宮宅 勇二
去る7月18日(金)加古川市のコミュニティー協会4階会議室にて事業委員会主催の建築夜話で左官工芸の部門では、全国的に有名な品川博氏のミニ講演会が開催されました。
品川氏本人も島根県太田市近辺の出身で、近代建築士において左官の技術集団として有名な石州左官の一人です。冒頭、かの地方は、農作物を作るにも平らな土地が少なく次男坊以下は、自分の腕で(技術で)生きていかざるを得なくて、多くの人が左官や大工となって技を磨き全国各地でその技を使って生活をしてきた歴史がある。との説明がありました。その為島根県は、単位人口当たりの左官や大工の数は今でも日本一である。ということです。
さて、品川氏は、日々の左官業のかたわら時間を見つけては自宅にて雀や昆虫を針金とセメントと塗料で作ることを趣味としていたそうです。その為のコテは様々な型状をしており、何百種類という数になっているそうです。そして、その技量がどんどん上達するにつれ、あちらこちらで創作をたのまれるようになりました。お寺の山門や五重の塔の欄間の絵(春夏秋冬)トイレの壁画、公衆浴場の壁画、等々人のつながりを通じて数多くの依頼があり、日本国内はもとより台湾迄出かけていって作品を残している。というぐらいまでなりました。NHK で何度か放映されたこともありますが、その創作活動には大変敬服致します。
左官工芸というと日本の古来からの技術として、しっくいやワラを使って創作する。というふうに思っていましたが(現にそれはあるのですが)品川氏の場合は力骨に針金を作ってセメントで作品をつくる。というユニークな方法をとっています。色をつけるのも白セメントに色粉を混ぜて色づけする場合と形をつくり硬化したあとで色づけをする場合があるそうで、遠くにあるものをぼかして色づけする際等の色の付け具合に大変気を使う、という話もありました。また形をつくるのは全て手の感覚による、との事でその技術の高さ、経験の深さがしのばれる言葉でした。
今回、貝やアリなどの作品と今試作中という某大学の壁画の下絵をもってきて我々に見せてくれました。これがセメントで、と皆驚いたものでした。極めればここまでできるのかとつくづく思わされました。こういう技術が伝統工芸として残っていってほしいものだと思ったのは私だけではないと思います。
報告書(PDF)