2007年11月25日日曜日

【報告】第3回建築夜話 「建築と家具の接点」 講師:中田みき氏(手作り家具職人)


報告 :事業委員 北川 則行

 私たちは建築士としてプロフェッショナルですが、他の分野で専門家として活躍している人の仕事は余り知りません。そこで、色々な分野の専門家を講師に迎え、知識の習得・研鑽に励みたいと思い月末の金曜日に『建築夜話』と銘打って講演会を始めました。



 阪急園田駅北東位置するがらくた茶房『ごるめん』というあやしげなレストランで家具職人の中田みきさんを講師に迎えてお話をしていただきました。
 この『どるめん』のカレーは、ヤフーランキング『どうしてもいきたい全国カレー店100』に選ばれています。

 中田みきさんとは、木曾御岳山の5ノ池小屋で知り合いました。
 もともとOL をされていたようですが、木工教室に通うようになってから木工の世界にのめり込んで今の仕事をされているようです。 今は自分の木工教室で生徒さんたちに教えておられます。
 お酒を飲みながら会話形式の座談会みたいなものだからという私からの依頼に、今回快く建築夜話の講師を受けていただきました。
 当日、中田みきさんは建築士を相手に話をするということで少し緊張されていたように見えましたが、家具の話を中心に畳に使用するい草の話、大工道具の話、特に鋸の目立て職人さんの話は熱がこもったお話でした。

 一軒の家が出来るまでには、本来なら数多くの職人さんたちの『技』を経て完成するべきですが、しかし残念ながら現在はこの『職人の技』がなくてもとりあえず『家』は完成します。
 コスト面、工期の面等でそうせざるを得ない面もあるかもしれませんが、このままでは『職人の技』
が途絶えてしまうかもしれません。
 私たち建築士は、この『職人の技』を残すために、建築主と職人さんたちとの橋渡しにならなければと痛感しました。
 なお、中田みきさんは家具職人の本業のほかにバンド活動もされていてボーカルを担当されています。
 当日歌っていただこうとお願したのですが、残念ながら美声は聞けませんでした。

中田みき氏の作品
(家具工房エムズワーク)
報告書(PDF)

2007年10月10日水曜日

【報告】第2回建築夜話 「アルゼンチン国境のラプラタ川架橋構想に取り組む」 講師:田中淳之氏(JICAシニアボランティア)











報告:事業委員 山際洋子

 第 2 夜は 9 月 21 日 19 時より私学会館において、田中淳之氏を講師に迎え、「アルゼンチン国境のラプラタ川架橋構想(川幅 42km)に取組む ― 世界最大プロジェクト ―」と題して話をしていただきました。
 職歴のように、東京湾アクアラインや本州四国連絡橋の調査、設計、建設に携わられ、退職後、アルゼンチンに渡り、ラプラタ川架橋構想のアドバイザーとしてシニ アボランティア活動をされた同氏のお話は穏やかな語り□の中にもエネルギーを感じるものでした。

 ブラジルとチリを結ぶ高速幹線におけるアルゼンチン通過部分の交通渋滞解消のために、川幅42km に橋を架けようというのですからスケールの大きさは計り知れません。
 N 値 5 程度の厚い粘土層の下が N 値 40 以上の砂層という川底の地層、海上だからこそ使える巨大クレーン等、プロジェクターを使っての説明は判りやすく、思わず身を乗り出して聞き入って
しまいました。

“地球を人々にとって豊かなものにするためにデザインすることこそ、土木の使命"

 以前こんなコピーがあったのを思い出しました。

“Civil engineer is the designer of the earth"

 アルゼンチン経済の逼迫により、工事への着工はまだだそうですが、このプロジェクトにより南米の経済活動が活発になることは確実です。
 地球は大きいと今更ながらに感じたのは、私だけではないでしょう。
 アルゼンチンがどんな国かとの紹介もしていただき、歴史的にも日本に縁の深い国であることをはじめて知りました。たくさんの写真を見せていただき、旅行気分にも浸れ、大いに満足!!ぜひ
一度この国を訪れてみたいものです。

 最後に、田中氏は、シニアボランティア応募の為に英語の個人レッスンを受け、特訓をされたそうですが、いくつになっても夢を持ち、たゆまぬ努力をさらりとやってのける姿勢を私も見習いたいと思いました。

当日の模様

報告書(PDF)

2007年9月20日木曜日

【報告】第1回建築夜話 『日本画とは』 講師:村田晴彦氏(日本画家)


報告:事業委員会委員長 井上芳郎

 私たちは建築士としてはプロフェショナルですが、他の分野で専門家として活躍している人の仕事は余り知りません。そこで、色々な分野の専門家を講師に迎え、知識の習得・研鑽に励みたいと思い、月末の金曜日に「建築夜話」と銘うって講話会を始めました。

 第1夜にお迎えしたのは、日本画家の村田晴彦画伯です。20数名の参加者が、先生を囲むように席についたのですが、画伯のその風貌とオーラに押されてなかなか質問が出て来ません!
以下は、その一部を再現してみました。


東京藝術大学 ― なぜ日本画家になったのですか? 

 実家の近くに芸大があり、また、父親も日本画家で、芸大入試の半年前から受験勉強をしたくらいで、気がついたら東京藝術大学日本画学科に席をおいていました。芸大では、先輩の指揮者の山本直純氏や、日本画家の平山郁夫氏、よく遊びにいった建築学科教授の吉田五十八氏に、大きく影響を受けました。
 以前から、村田先生が谷崎潤一郎氏の「陰影礼賛」を読めと言われていたことが理解できました。


日本画 ― 日本画とは? 

 皆さんは日本画※というと、雪舟の水墨画や狩野派の金箔の屏風絵を連想されると思いますが、実は洋画とあまり変わりません。
 大きく洋画と違うのは絵の具です。岩絵の具といって、石を細かくすり潰し、膠水で溶いて使います。岩絵の具の石はほとんど手に入らない外国の石ばかりです。羊毛のような柔らかい筆で絵の具をすくうようにして画面に塗っていきます。乾くのを待って色調の出るまで何回も重ね塗りします。粗い岩ものならば一粒一粒を画面にならべていきます。岩絵の具の種類と粒の大きさ、それに膠水の量、それぞれが調和しなければ、乾いた時、岩絵の具が剥れたり、鮮やかな色沢を出す事が出来ません。
 最初、アトリエに行ったとき、電熱器や鍋、石の入ったビン、すり鉢等何か、工芸工場でも入ったかと思ったほどでした。講話の間は、先生のホームページ“村田晴彦美術館”から3~4作品を回覧しました。

※ 日本画とは明治初期ヨーロッパからもたらされた西洋画に対して、それまで日本にあった図画
に対して用いられた用語である。



 シルクロード 
― 主にどんな絵を描いているのですか? 

 若い時は、中国(敦煌・成都・トルファン・ウイグル)、アフガニスタン(カブール・バーミヤン)、インド(チャンディガール・エローラ・アジャンタ)、パキスタン等色々と旅をしました。最初は絵を描くつもりで行くのですが、その風景・建物・遺跡に圧倒されて、ただの旅人になってしまいます。他にもトルコ(イスタンブール・カッパドキア)、ペルー(クスコ・マチュピチュ)等も旅行しました。

 国内では奈良を題材にした作品を多く手がけています。 最近は、出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)に出向いてみました。
 奈良を題材にした作品については、先生のホームページの古寺逍遥シリーズをご覧ください。
 先生を見ていると、日本人で最初にチベットに入った河口慧海法師とダブって感じられます。

月彩(浄瑠璃寺) 



赤 絵 
― 即興で絵を描いていだけませんか?!

 「昔、先生が興に入った時、野菜や醤油といった食材で絵を描いていましたね」

 『あれは赤絵と言って、あまり描きたくないなー』

 「色紙と顔料と筆を用意しているのですが、何か・・・・・・」

 『うまく ハメられたなー』

 「お願いします」

 さっそく、筆を取り下絵も描かず、筆が踊っているかの様に滑らかに走る。皆、先生を取り囲む様に覗きこんでいました。

 今夜は、日本画の奥の深さと優美さを知り、村田先生の人間の大きさと深さを知り、大変感銘しました。

即興で書いていただいた赤絵

″村田晴彦美術館” ホームページ  http://www.murata-haruhiko.jp/

報告書(PDF)