報告:事業委員会委員長 井上芳郎
私たちは建築士としてはプロフェショナルですが、他の分野で専門家として活躍している人の仕事は余り知りません。そこで、色々な分野の専門家を講師に迎え、知識の習得・研鑽に励みたいと思い、月末の金曜日に「建築夜話」と銘うって講話会を始めました。
第1夜にお迎えしたのは、日本画家の村田晴彦画伯です。20数名の参加者が、先生を囲むように席についたのですが、画伯のその風貌とオーラに押されてなかなか質問が出て来ません!
以下は、その一部を再現してみました。
東京藝術大学 ― なぜ日本画家になったのですか?
実家の近くに芸大があり、また、父親も日本画家で、芸大入試の半年前から受験勉強をしたくらいで、気がついたら東京藝術大学日本画学科に席をおいていました。芸大では、先輩の指揮者の山本直純氏や、日本画家の平山郁夫氏、よく遊びにいった建築学科教授の吉田五十八氏に、大きく影響を受けました。
以前から、村田先生が谷崎潤一郎氏の「陰影礼賛」を読めと言われていたことが理解できました。
日本画 ― 日本画とは?
皆さんは日本画※というと、雪舟の水墨画や狩野派の金箔の屏風絵を連想されると思いますが、実は洋画とあまり変わりません。
大きく洋画と違うのは絵の具です。岩絵の具といって、石を細かくすり潰し、膠水で溶いて使います。岩絵の具の石はほとんど手に入らない外国の石ばかりです。羊毛のような柔らかい筆で絵の具をすくうようにして画面に塗っていきます。乾くのを待って色調の出るまで何回も重ね塗りします。粗い岩ものならば一粒一粒を画面にならべていきます。岩絵の具の種類と粒の大きさ、それに膠水の量、それぞれが調和しなければ、乾いた時、岩絵の具が剥れたり、鮮やかな色沢を出す事が出来ません。
最初、アトリエに行ったとき、電熱器や鍋、石の入ったビン、すり鉢等何か、工芸工場でも入ったかと思ったほどでした。講話の間は、先生のホームページ“村田晴彦美術館”から3~4作品を回覧しました。
※ 日本画とは明治初期ヨーロッパからもたらされた西洋画に対して、それまで日本にあった図画
に対して用いられた用語である。
シルクロード
― 主にどんな絵を描いているのですか?
若い時は、中国(敦煌・成都・トルファン・ウイグル)、アフガニスタン(カブール・バーミヤン)、インド(チャンディガール・エローラ・アジャンタ)、パキスタン等色々と旅をしました。最初は絵を描くつもりで行くのですが、その風景・建物・遺跡に圧倒されて、ただの旅人になってしまいます。他にもトルコ(イスタンブール・カッパドキア)、ペルー(クスコ・マチュピチュ)等も旅行しました。
国内では奈良を題材にした作品を多く手がけています。 最近は、出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)に出向いてみました。
奈良を題材にした作品については、先生のホームページの古寺逍遥シリーズをご覧ください。
先生を見ていると、日本人で最初にチベットに入った河口慧海法師とダブって感じられます。
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月彩(浄瑠璃寺) |
赤 絵
― 即興で絵を描いていだけませんか?!
「昔、先生が興に入った時、野菜や醤油といった食材で絵を描いていましたね」
『あれは赤絵と言って、あまり描きたくないなー』
「色紙と顔料と筆を用意しているのですが、何か・・・・・・」
『うまく ハメられたなー』
「お願いします」
さっそく、筆を取り下絵も描かず、筆が踊っているかの様に滑らかに走る。皆、先生を取り囲む様に覗きこんでいました。
今夜は、日本画の奥の深さと優美さを知り、村田先生の人間の大きさと深さを知り、大変感銘しました。
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即興で書いていただいた赤絵 |
″村田晴彦美術館” ホームページ http://www.murata-haruhiko.jp/
報告書(PDF)